2016年 09月 07日
からだのこと(2)ひとつづつ。
2016年 09月 02日
薬膳ヨガ新聞、9月号配布中!
風が秋になって、せつなさでどうしようもなくなっています。この間は何かの匂いをかいで、いろいろな場所が思い浮かび、やりたいこと、やって楽しかった思い出、全部がめくるめく状態になって、クラクラしそうでした。
昔は夏にそうなっていたのだけどなー。(終わる、ということがつらくてしかたなかったっけ)
年のせいでしょうか。秋が、待ち遠しくてしかたないっていうのがもう6年くらい続いています。
新聞という名の手描きの通信も、1日から9月号を配布中。まごわやさしいのことを語りすぎて、枠がなくなっちゃってます。ま、日程はHPをみればわかるからいいか!
そう、なんたってごはんです。
まごわやさしいは、7食材をとりましょう、そうすると元気でいられますよ、という昔ながらの食事法なのですが、完璧に7素材を摂取すればいいというものでもないんですよね。また、1日かけてとるんでもいいんですか?というご質問もよくいただくんですが、それはまあ間違いではないのですが、なんていうかそこじゃないんです。
たとえばなのですが、一般にいうナントカ食事法みたいなのって、続けることで変化が起きるのを待ちたい、だからとにかくつづけよう、が基本です。
でも、まごわやさしいは、「1食そうすることでその後の数時間をつくる」ものなのです。変化は続けた末の何ヶ月後ではなく、直後です。小さな変化なんですよ。でもすぐなのです。
多いのは、
「食後のデザートを欲さない」
です。ガマンと違って、欲さない。食べたくないんですよ。
お友達と一緒だったりして、別に全然たべようと思っている。だけどやっぱり頼めない。食べたくない
としか言えない。何度味わっても、不思議です。みんなが食べても平気です。
そして、
「歩いちゃお」
これもあります。
暑いし、とか、遠いし、とか、普通はそういう条件で移動をウォーキングできるかどうか、決まりますよね。でもあるとき暑いのに「歩いてしまう自分」に出会います。これも、なんとも不思議です。いわゆる体力がありあまっている状態で、根性で、とかじゃないから、別に息も上がりません。
変化はいろいろですが、自然によく動いて、動作もキビキビし、カロリーの消費量もふえ、からだに老廃物が溜まっていない状態が1日、2日とつづくと、「疲れた〜(汗)」って言わなくなって、むくみにくくなる、というのは考えられると思います。燃費のいいエコカーみたいに、ちょっとのエンジンで、排気ガス一つださず、長距離を走って。
だから痩せる人もいますがが、これも当然といえば当然です。
そのかわり、やらないとそういう数時間が、ちゃんと訪れます。
たとえば、忙しくてサンドイッチとコーヒーだけみたいなライトミールを食べますよね。(たまに食べたいし)そうすると、もうれつ、もっと何か食べたくなります。追加でケーキなんか全然食べちゃいます。
でもそればリバウンドとは違うんです。まごわはあくまでも、一食単位、「その一食 からの 数時間」
をつくっているに過ぎないので、次の一食で、まごわやさしい をとれたら、そのあとの数時間はまたすぐに燃費のいい体なんですよね。おもしろい!
これ、何かのきっかけで、ごはんをワインとアップルパイにしてしまったある日の夜。
案の定、夜中にお腹がすいてしょうがないのでした。おなかがグーグーいうのは、内臓言葉で、「栄養ください」なのです。飢餓感です。これって、栄養が足りないって意味なんですってね!帰りは歩くなんて全然忘れてたし、カロリーはとことんとっているわりに、ヘタレな夜でしたねー。
というわけで、とくにメンテナンス&ダイエットヨガ のクラスでまごわやさしいをとりあげています!こんど、みんなの手作りメニューご紹介しますね。
友達とも、もちよりごはん会もやるんです。LINEでみせあっていたメニューをとりかえっこして食べられるのです。うくく、楽しみすぎるではないですか・・・!
サンドイッチでまごわやさしい。ツナサンドです!
2016年 08月 25日
からだのこと(1)画像をみた
ちょっとからだのことを、
続けてかいていこうと思います。
わたしの胆管は、
太いのだそうです。
胆管拡張症といって、
うまれつきなんだそう。
このこと、先日の「解剖学ワンデイ」
に来てくださった方には、
肝臓のところでちょっと私ごとで
お話してしまったんですが、
びっくりしていたから
話しちゃったんですよ。
これって、一般的には、
気づいた時点で
手術で胆管と胆のうを
とるのだそうです。
赤ちゃんのうちに
今なら生まれる前からわかるものだそうで、
わたしは今わかったということです。
手術をするかしないか、
材料集めのための検査が
必要なんだそうです。
手術が一般的である理由は、
ほうっておくとガンにかかる確率が
高くなるからなんだそう。
このことを診断された人は
どっちをとるかみたいに
なってしまうみたいです。
でも、うまれつきそうなら、
これがわたしの運命ですよね。
手術だってしかたないですよね。
わたしの体の持って生まれた運命なんだもの。
47年間、きがつかなかったけど
からだはずーっと、
無理をさせられていたのかな。
ごめんね、わたしの胆管。
今もつらい?
それともそうでもない?
話をしたくてしかたないです。
今回、わたしはこのこと
ちょっと検診がてらで行った、
エコーの検査でわかりました。
診察のとき、その先生は、
「肝臓や胃や膵臓はなーんでもないんだけど、
これここ、胆管が太くなってるのがわかりましたよ」
といってました。
だけどほんとにそうなのかな?
きちんと見定めるには、
MRI、CT、胃カメラのようなもの、
入院してやる検査などなどがあるそう。
では、ということで、
CTの予約をして帰りましたが、
帰ってから、
ガン〜?と不安になったり、
お腹切るのかぁと思ったり、
今の医療なら大丈夫だな!と思ったり
落ち着きません。
友達に話しても
お互いにきいたこともない話で、
ポカーンでした。
お父さんには、びっくりさせるだけだし
まだいわないことにしました。
「あ、僕、ここの一番偉い人だから
なんかあったら僕の名前だしてねー」
って途中から急に優しくなったなー先生。(笑)
「胃もたれなんて、薬局にいけば
いろいろ教えてくれるでしょ?
薬だすけど、それじゃダメなの?
じゃあ検査しますかね・・
なんでもないと思いますよー?
人間ドック受けたらいいのに・・」
最初の反応はそんな感じでしたからね、先生?(笑)
でも、あそこでおれずに検査してよかった!
自分の直感で検査して、
からだの呼びかけに応えられて、
帰りはちょっと誇らしいのでした。
ヨガをはじめてから、
からだが、自分本人というよりは
もう一人の誰か、
友達の存在みたいに感じられます。
信じてあげると、喜ぶんですよ。
それってみなさんはどうですか
喜んでいるのが、心地よさという感覚で、
伝わってくるのです。
安心感がが胸に広がり、
とても気持ちがいいのです。
不思議だけど、
不思議でもないのかもしれませんね。
からだの声を聴くって
このことなのかもしれません。
からだを信じられているというだけで、
なにはなくとも、ワクワクする。
これは、ヨガをやっていてよかったことの
1つです。
ということで、総胆管拡張症。
もしお知り合いの方がご経験されていたら、
またそれの専門医の先生がいらしたら、
情報いただけたらうれしいです。
とりあえずここまでが、
この日付の日にあったこと!
2016年 08月 25日
看板、フェンネル、扇風機。
みなさんお久しぶりです!
残暑お見舞い申し上げます
今日の午後も暑いですね〜。
でもね、鵠沼海岸のこの家はすごーく涼しいんですよ。この夏は本当に助かってます!
というのも、わたしは扇風機にあたりすぎると頭がいたくなって、昨日ドッジボールしたんだっけ?と思うくらい筋肉がバキバキに緊張してこわばっちゃうのですが、ここにいるとその扇風機を、かけ忘れることもしばしば。しかも、かかってないことにだーれも気がつかないのです、お部屋が涼しすぎて。
天然の風、たのしんでいます♪
それと、ドアのところで最近、看板とフェンネルがみなさんをお出迎えしています!
この看板は、知るひとぞ知るたからの庭の専属大工、カワセミさんのお作。専属っていっていいのかわからないけど、ドアから陶芸小屋まで、たからの庭ではほとんどすべての修繕をカワセミさんがてがけていました。
それをずっとみてきたせいか、去年の秋、鵠沼にスタジオをひらくことになったとき、たからの庭ギャラリーになんとなくいつもおいてあった使い古しのこの黒板がどうしてもほしくて、ユーズドでもいいからといってゆずってもらいました。新ピカの場所で、自分の拠点を構えるのが初めてでも、たからの庭のものがひとつあればなんか大丈夫な気がしたっけ。
フェンネルハガキは、同じくたからの庭ギャラリーに作品を展示している大石香織さんの作品。かわいいでしょう?若くてかわいくて、信じられないくらい絵の上手な、鎌倉のアーティストさんです。この奥行き、ダンボールなんですよ。貼って、塗って、それからはじめてパソコンにとりこんでいるのです。
鎌倉をぶらぶらしていると、香織アートをたまにみかけます。コバカバとか、北鎌倉燻煙チーズ工房(市場店)の、柴犬のかかれたかわいい看板もそう。柴犬は香織さんがかっているケンタ、
かと思いきや、そうではなくて、チーズ屋のオーナーさんでたからの庭のオーナーでもある、島津さんのうちのそーちゃんです。
手作りって、なにかもっています。なにかぬるま湯的な。温かいだけじゃない、もっと匂いを伴う個人的な感覚。それを温もりっていうんでしょうか?
子供のときはそれがいやでした。母のつくるスポンジケーキがいや。手縫いワンピースがいや。ピアノの本を入れるバッグもいや。母のつくったものがでてくるたび、「買ったのがいい」が口癖でした。
既製品のこざっぱりさ、ドライな他人の感じにこころ惹かれた感じ、今でも鮮明に覚えています。
だけど今はどうでしょう?
細胞が毎日手作りにかこまれたがっている。ほっとさせてもらえるからです。ああ、よかったこれを買っておいて♪と、しょっちゅう部屋のあちこちを見回しながら思ってる。
だけど9歳のときの感覚も覚えているので、どうしちゃったの?と突っ込むわたしも、まだ生々しく胸のところにいます。自分の中に二人の人間が同居しているような、なんとも言えない奇妙な気分です。
これって人というのがいつ変わるかわからない、まったくあてにならない生き物だってことの証明だと思いませんか?
本来の自分ってよく言うけど、それってあるんだろうか。そもそも本来ってなに?わかっているのは、手作りに辟易していたわたしが、今度は良さに感じ入ることになっているということ。
だとしたら、60歳、70歳、80歳、わたしは今絶対いやだと思っているものを、愛するようになるのかも。正反対の価値観で世の中をみたりするのかも
2016年 08月 06日